スペイン旅行記を帰国後3ヶ月近く遅れて書き終わってから、またまた投稿をさぼってしまった。
11月7日の投稿でアナウンスしたので、すでにご承知の方もおられると思いますが、本年の営業は今日で終了。
明日、明後日と厨房のお掃除をして、22日に京大付属病院に入院します。
25日、素晴らしいクリスマスプレゼントとして前立腺切除手術をうけます。
8月に初期の前立腺癌が見つかり、治療方針をスペイン旅行中に思案して、旅行から帰ってすぐ、手術を受けることを決意。年末年始の休みを少々長く頂いて、その間に手術を終える計画を立てました。
紅白歌合戦は病室で内緒で視、正月のお雑煮は、お屠蘇なしで、病室で頂くことになります。
退院は多分1月上旬、Bar mio再開は多分1月下旬かな?
また、来年、具体的に報告します。
なにはともあれ、このブログのご愛読者の皆さんに、今までのご愛読に感謝いたします。
多分、退院後まで、投稿が出来ないとおもいますので、本年の年末の挨拶とさせていただきます。
新年が、皆様にとって、素晴らしい年でありますよう、病室より祈念しております。
2009年12月19日土曜日
2009年12月3日木曜日
スペイン旅行記9月16日(水)、17日(木)
スペイン旅行記、ようやく、最終章。
今回の旅行は、大きなハプニングもなく、無事終了かと思えば、ハップニングは最後の最後に起こるもの。
16日(水)出発日。
12:05の飛行機に乗るため、余裕をもって、早めにホテルからシャトルバスで空港へ移動。
シャトルバスの時間は事前に確認してあった。各時間、0分、20分、40分にホテル出発。
昨夜、レンタカーをターミナル近くのHertzに返したので、空港までは10分程度と確認していた。
9時20分のバスに乗れば十分なるも、1本早めの9時00分のバスに乗ることにした。
日本人の良いところであるが、定刻10~15分前には準備OK。
ホテルの前にシャトルバスが止まっている。
9時00分には早いが、早々に乗り込み、バスも8時50分に出発した。
ターミナルまで10分のはずが、随分と時間がかかる、おかしいなと思っていると、ようやく到着。なんと、別のターミナル。
運転手は早々に荷物を降ろす。あわてて、止めて、ターミナル1へ行ってくれと言う。
運転手曰く、このバスは、ターミナル2とホテルを往復するもの。ターミナル1には行かない。ホテルまで戻るなら乗せて帰るとのこと。
でも、9時00分発は到底、9時20分発も間に合わないと分かる。
2種類のシャトルバスがあったことに気づかなかった自分に嫌悪感。
運転手と交渉。なかなかウンといわない。荷物が多いので、タクシーでターミナル移動するしかないかと思いつつも、ここは、さらに交渉。
タクシー代の半分をチップとして払うから、ターミナル1へ行ってくれ。
結局、チップでOK。目的のターミナルに9時15分に無事到着。
チェックインを終え、最後の買い物をし、飛行機に乗り込む。
あとは、飲んで、食って、寝るだけ。
だが、ハップニングは更に続くのだった。
アムステルダムで乗り換えて、関空へ一直線。
水曜発木曜着の便だが満席。本当に日本は不景気なのか疑問に思える状態。
ディスカウントチケットにしては、エコノミー席でも随分前のほうで、文句を言える状態ではない。
が、しかし。我々の座席の当りだけが、異常に寒いのだ。
空調の不備で冷たい風が通りぬける。
アテンダントに何回も事情説明するも、代わるべき席はなし。
機内の温度もこれ以上上げるわけにゆかない。
現に、自分で、エコノミー席を歩き回ったが、一番後ろのあたりは、暑いくらい。
満席のため、余分の毛布もない。強い要求に応え、ビジネスクラスの毛布を他の客に内緒で持ってきてくれたのが、唯一の救い。2枚の毛布に包まって、酒を飲んでも寒くて眠れない。
過去何十回、いや、何百回、飛行機に乗ったが、寒くて一睡も出来なかったのは今回だけ。
17日(木)am09:35 関空着。
予約してあったMKシャトルで自宅まで。
無事、帰宅。万々歳。
が、その後、数日風邪気味が続いてしまった。 <完>
今回の旅行は、大きなハプニングもなく、無事終了かと思えば、ハップニングは最後の最後に起こるもの。
16日(水)出発日。
12:05の飛行機に乗るため、余裕をもって、早めにホテルからシャトルバスで空港へ移動。
シャトルバスの時間は事前に確認してあった。各時間、0分、20分、40分にホテル出発。
昨夜、レンタカーをターミナル近くのHertzに返したので、空港までは10分程度と確認していた。
9時20分のバスに乗れば十分なるも、1本早めの9時00分のバスに乗ることにした。
日本人の良いところであるが、定刻10~15分前には準備OK。
ホテルの前にシャトルバスが止まっている。
9時00分には早いが、早々に乗り込み、バスも8時50分に出発した。
ターミナルまで10分のはずが、随分と時間がかかる、おかしいなと思っていると、ようやく到着。なんと、別のターミナル。
運転手は早々に荷物を降ろす。あわてて、止めて、ターミナル1へ行ってくれと言う。
運転手曰く、このバスは、ターミナル2とホテルを往復するもの。ターミナル1には行かない。ホテルまで戻るなら乗せて帰るとのこと。
でも、9時00分発は到底、9時20分発も間に合わないと分かる。
2種類のシャトルバスがあったことに気づかなかった自分に嫌悪感。
運転手と交渉。なかなかウンといわない。荷物が多いので、タクシーでターミナル移動するしかないかと思いつつも、ここは、さらに交渉。
タクシー代の半分をチップとして払うから、ターミナル1へ行ってくれ。
結局、チップでOK。目的のターミナルに9時15分に無事到着。
チェックインを終え、最後の買い物をし、飛行機に乗り込む。
あとは、飲んで、食って、寝るだけ。
だが、ハップニングは更に続くのだった。
アムステルダムで乗り換えて、関空へ一直線。
水曜発木曜着の便だが満席。本当に日本は不景気なのか疑問に思える状態。
ディスカウントチケットにしては、エコノミー席でも随分前のほうで、文句を言える状態ではない。
が、しかし。我々の座席の当りだけが、異常に寒いのだ。
空調の不備で冷たい風が通りぬける。
アテンダントに何回も事情説明するも、代わるべき席はなし。
機内の温度もこれ以上上げるわけにゆかない。
現に、自分で、エコノミー席を歩き回ったが、一番後ろのあたりは、暑いくらい。
満席のため、余分の毛布もない。強い要求に応え、ビジネスクラスの毛布を他の客に内緒で持ってきてくれたのが、唯一の救い。2枚の毛布に包まって、酒を飲んでも寒くて眠れない。
過去何十回、いや、何百回、飛行機に乗ったが、寒くて一睡も出来なかったのは今回だけ。
17日(木)am09:35 関空着。
予約してあったMKシャトルで自宅まで。
無事、帰宅。万々歳。
が、その後、数日風邪気味が続いてしまった。 <完>
2009年12月2日水曜日
スペイン旅行記9月15日(火)
スペイン滞在最終日。プラジャ・デ・アロのホテルを昼前に出発、バルセローナに戻る。
ロビーから地階に降りると客席がある。窓から、オスルタルリックの村が見下ろせる。
ビックリしたのが、建物、家具、調度品は昔のままだが、料理の内容が完全に変わっている。前のオーナーは年をとって引退。レストランの権利を若い人に譲ったとのこと。Rosas(ロサス)にあるEl Bulli(エル・ブジ)の料理が若い調理人に大きな営業を与えているらしいが、どうやら、ここもその流れにあるようだ。
パンも小ぶりだが、ちょと変わった食感
No.2 フォアグラのアワビのソース和え
No.3 焼き飯風
No.4 巻き寿司風
醤油ベースのソース
No.5 ほほ肉の煮込み(醤油味?)
デザートNo.1
デザートNo.2 アイスとプチ・ケーキ
バルセローナへの高速の途中に、オスタルリックという出口がある。
ここの小高い丘の上に、Castillo de Hostalric(カステイーリョ・デ・オスタルリック)、オスタルリックのお城がある。何年もかけて、再建中であるが、メインの建物の中にレストランがある。
今回、30数年ぶりにここで昼食。
外観の写真を撮るのを忘れた。
これは、中に入ったところのロビー。
石造りの重厚な建物。
ロビーから地階に降りると客席がある。窓から、オスルタルリックの村が見下ろせる。
ビックリしたのが、建物、家具、調度品は昔のままだが、料理の内容が完全に変わっている。前のオーナーは年をとって引退。レストランの権利を若い人に譲ったとのこと。Rosas(ロサス)にあるEl Bulli(エル・ブジ)の料理が若い調理人に大きな営業を与えているらしいが、どうやら、ここもその流れにあるようだ。
まずは、2種類の前菜
黒いお皿は自然の石板
パンも小ぶりだが、ちょと変わった食感
No.2 フォアグラのアワビのソース和え
No.3 焼き飯風
No.4 巻き寿司風
醤油ベースのソース
No.5 ほほ肉の煮込み(醤油味?)
デザートNo.1
ムース
デザートNo.2 アイスとプチ・ケーキ
このお城のレストランで、このような料理を食べるとは思っていなかったが、スペインもドンドン変わっているのだなと実感させられた。でも、サービスしてくれたウェイターは昔なつかしの顔であった。
経営者が変わっても35年ウェイターとして働いている従業員と変わらぬたたずまい。変わらないものと変わるものの調和を見たようだった。
昼食後、バルセローナ市内で、Lladro(リャドロー)バレンシアの焼き物の人形の店を見学。
El Corte Ingles(エル・コルテ・イングレス)百貨店で最後の買い物をして、ランブラス通のタパスとピンチョスの店で簡単に夕食をとり、バルセローナ空港の近くのホテルにチェックイン。最後の夜である。
スペイン旅行記9月14日(月)
9月のスペイン旅行記がまだ完了しないうちに12月になってしまった。反省。
9月14日(月)は、30数年前にGironaに住んでいたころよく来た海岸、
Aigua brava(アイグア・ブラバ)にやってきた。カタラン語で「青い水」という意味。
小さな入り江で、リアス式海岸の絶壁の下に青い静な入り江がみえる。この絶壁の上にはParador nacional(パラドール・ナシオナール)国民宿舎のような、でも高級な宿泊施設がある。
海岸に降りると、狭いが綺麗な砂浜がある。残念ながらこの日は、曇りがち、時々小雨が降り、風が冷たい。
海岸に面したレストランで昼食。軽いものばかり注文。これは、白身魚のCarpachio(カルパチオ)。
これは、Cepia(セピア)。
「セピア色したシクラメン程、、、、」のセピア。
日本語ではモンコイカ。小ぶりのものが美味しい。
Escalivadas(エスカリバーダス)。
南仏のラタテゥーユのような野菜の蒸し焼き。カタルーニャ地方では定番料理。
ソースが3種。白いのがアリオリ(ニンニクマヨネーズ、青いのはペレヒール(イタリアン・パセリ)とオリーブオイル、赤いのは見た目ほどピリ辛ではなく、パプリカがメインのオリーブオイル。
デザートにシャーベットを、4人で1人前を注文。
スペインでは、アイスクリーム類を頼むと、ほぼ確実に大きなボールが3個ででくる。今回も、カジュアルな店でよかった。1人前に4本のスプーンをつけてサーブしてくれた。
軽めの昼食(スペインの旅も終わりに近づき、皆、胃が日本食を求め始めているが、意地でもスペインの料理を食べ続ける)を終えてから、昔はなかった、アウトレットセンターへ。
ゆっくりとショッピングを楽しみ、ホテルへ。ホテルで軽く夕食をすまし、明日の出発に備える。
9月14日(月)は、30数年前にGironaに住んでいたころよく来た海岸、
Aigua brava(アイグア・ブラバ)にやってきた。カタラン語で「青い水」という意味。
小さな入り江で、リアス式海岸の絶壁の下に青い静な入り江がみえる。この絶壁の上にはParador nacional(パラドール・ナシオナール)国民宿舎のような、でも高級な宿泊施設がある。
海岸に降りると、狭いが綺麗な砂浜がある。残念ながらこの日は、曇りがち、時々小雨が降り、風が冷たい。
海岸に面したレストランで昼食。軽いものばかり注文。これは、白身魚のCarpachio(カルパチオ)。
これは、Cepia(セピア)。
「セピア色したシクラメン程、、、、」のセピア。
日本語ではモンコイカ。小ぶりのものが美味しい。
Escalivadas(エスカリバーダス)。
南仏のラタテゥーユのような野菜の蒸し焼き。カタルーニャ地方では定番料理。
ソースが3種。白いのがアリオリ(ニンニクマヨネーズ、青いのはペレヒール(イタリアン・パセリ)とオリーブオイル、赤いのは見た目ほどピリ辛ではなく、パプリカがメインのオリーブオイル。
デザートにシャーベットを、4人で1人前を注文。
スペインでは、アイスクリーム類を頼むと、ほぼ確実に大きなボールが3個ででくる。今回も、カジュアルな店でよかった。1人前に4本のスプーンをつけてサーブしてくれた。
軽めの昼食(スペインの旅も終わりに近づき、皆、胃が日本食を求め始めているが、意地でもスペインの料理を食べ続ける)を終えてから、昔はなかった、アウトレットセンターへ。
ゆっくりとショッピングを楽しみ、ホテルへ。ホテルで軽く夕食をすまし、明日の出発に備える。
2009年12月1日火曜日
12月に入った
2009年11月26日木曜日
スペイン旅行記9月13日(日)
さあ、今日はFigueras(フィゲラス)だ。ジローナより、さらにフランス国境に近い町。ジローナは人口10万人弱。フィゲラスは多分その半分くらい。
でも街中には必ず噴水のあるリッパな広場があちこちに。
こじんまりとした、落ち着いた町である。
右奥の卵が屋上に並んだ建物がダリ美術館。兎に角、変わっている。
ダリは他の多くの芸術家のように貧乏ではなかったようだ。金持ちで、友人を驚かせて楽しんでいたようである。
一つの例。広間に変わった形のソファーと暖炉がある。反対側に、しめ縄の親玉のようなものがぶら下がっており、その向こう側に階段がある。
階段を登り、しめ縄の親玉の間から覗くと、そこには、マリリン・モンローの顔が見える。
目は、壁にかかった絵。暖炉が鼻、ソファーが唇、そして、しめ縄の親玉が髪の毛。
この美術館は写真では分からない。ぜひ、訪問して実物を楽しんで欲しい。
ダリは宝石のデザイナーというもう一つの顔を持っている。
ダリ美術館に併設された宝石の美術館も見ごたえがある。
デザイン画の横に
でも街中には必ず噴水のあるリッパな広場があちこちに。
こじんまりとした、落ち着いた町である。
右奥の卵が屋上に並んだ建物がダリ美術館。兎に角、変わっている。
ダリは他の多くの芸術家のように貧乏ではなかったようだ。金持ちで、友人を驚かせて楽しんでいたようである。
一つの例。広間に変わった形のソファーと暖炉がある。反対側に、しめ縄の親玉のようなものがぶら下がっており、その向こう側に階段がある。
階段を登り、しめ縄の親玉の間から覗くと、そこには、マリリン・モンローの顔が見える。
目は、壁にかかった絵。暖炉が鼻、ソファーが唇、そして、しめ縄の親玉が髪の毛。
この美術館は写真では分からない。ぜひ、訪問して実物を楽しんで欲しい。
ダリは宝石のデザイナーというもう一つの顔を持っている。
ダリ美術館に併設された宝石の美術館も見ごたえがある。
デザイン画の横に
心臓がドキドキ動いているハート型の宝石など。写真では実感でないのでアップしていません。
これらも、是非、実物をご覧いただきたい。
ダリ美術館の後は、近くの海岸へ。Rosas(ロサス)バラという意味のリゾート地。
フランに近いので、フランス人が多い。フランス人の別荘も多い。
予約が取りにくいので世界的に有名なレストラン、El Buji(エル・ブジ)もこのロサスの高台にある。
日本を出発前に、キャンセル待ちで予約を試みてみたが、残念ながら、われらが滞在する週は何らかの理由で閉店中とのこと。5月から10月までの半年だけの営業で、いまから来年の予約でもう可也一杯になりつつある。一度は、行ってみたいレストランだ。
例のごとく、一人一品注文して、皆で分け合う。
そんな食べ方ができるのも、カジュアルなレストランのおかげ。
写真がぼけていて、何を注文したのか思い出せない。
写真がぼけていて、何を注文したのか思い出せない。
多分、エスカリバーダ(野菜のオーブン焼)。
スペイン旅行記9月12日(土)
いまだに、旅行記が終わらない。
今日は、海岸沿いに北に上がり、Palamos(パラモス)というもう一つのリゾート地から内陸に向かい、La Bisbal(ラ・ビスバル)という焼き物の町へ。
道沿いに何十件と並ぶ焼き物の店を、ブラブラ物色。
大きな焼き物の店の一角で見つけたパエーリャ鍋。
写真では大きさが分からないが、直径80cm以上ある。
別荘の庭で仲間が集まりバーベキューとパエーリャ。
そんな需要があるのだろう。この大きさだと、15~20人前は出来るだろう。
ラ・ビスバルからさらに内陸側に走るとそこは、なつかしのGerona(ヘローナ)、いまは、カタラン語でGirona(ジローナ)という町。20代の後半、3年半住んでいた町だ。ローマ時代からある古い町。細い石畳を上ってゆくと、大聖堂が聳え立つ。2000年以上、時代とともに形を変えながら存続してきた重みを感じさせられる。
ジローナの街中をブラブラしていると、急に風が吹き出し、雨が降り出した。スペイン到着以来、初めての雨。季節が移ろうとしているのだろう。Cafeで雨宿りしていると見る見るうちにRio Ter(テル川)の水位があがる。川に沿って、古い家屋がびっしりと立ち並んでいる。
昔から変わらない(変わり様のない)風景。
もう、雨も止んだ。
ホテルに戻り、ノンビリ、ホテルのレストランで夕食。
翌日は、Figueras(フィゲラス)まで足を伸ばしダリ美術館を見学する予定。
今日は、海岸沿いに北に上がり、Palamos(パラモス)というもう一つのリゾート地から内陸に向かい、La Bisbal(ラ・ビスバル)という焼き物の町へ。
道沿いに何十件と並ぶ焼き物の店を、ブラブラ物色。
大きな焼き物の店の一角で見つけたパエーリャ鍋。
写真では大きさが分からないが、直径80cm以上ある。
別荘の庭で仲間が集まりバーベキューとパエーリャ。
そんな需要があるのだろう。この大きさだと、15~20人前は出来るだろう。
ラ・ビスバルからさらに内陸側に走るとそこは、なつかしのGerona(ヘローナ)、いまは、カタラン語でGirona(ジローナ)という町。20代の後半、3年半住んでいた町だ。ローマ時代からある古い町。細い石畳を上ってゆくと、大聖堂が聳え立つ。2000年以上、時代とともに形を変えながら存続してきた重みを感じさせられる。
ジローナの街中をブラブラしていると、急に風が吹き出し、雨が降り出した。スペイン到着以来、初めての雨。季節が移ろうとしているのだろう。Cafeで雨宿りしていると見る見るうちにRio Ter(テル川)の水位があがる。川に沿って、古い家屋がびっしりと立ち並んでいる。
昔から変わらない(変わり様のない)風景。
もう、雨も止んだ。
ホテルに戻り、ノンビリ、ホテルのレストランで夕食。
翌日は、Figueras(フィゲラス)まで足を伸ばしダリ美術館を見学する予定。
2009年11月19日木曜日
11月の新メニュー
今週から新メニュー3品をだしている。
まずは、Tapas(タパス)の一品
フランスのアルザス地方の料理をイメージ。
オリジナルは煮物だが、スープ仕立てとした。
ジャガイモ、ニンジン、タマネギにドイツ産のソーセージとアイスパイン(豚肉の前足の肉の塩蔵)を生ハムの骨からとったスープで煮込んでいる。超アッサリ味に仕上げた。
一品料理のパスタ類にPizza(ピッツァ)を追加。
冷凍生地だが、なかなか優れもの。
トッピングはオリジナルのトマトソースにチョリソ、チーズ、アンチョビなど、手元にある食材を好みで乗っける。
まずは、Tapas(タパス)の一品
フランスのアルザス地方の料理をイメージ。
オリジナルは煮物だが、スープ仕立てとした。
ジャガイモ、ニンジン、タマネギにドイツ産のソーセージとアイスパイン(豚肉の前足の肉の塩蔵)を生ハムの骨からとったスープで煮込んでいる。超アッサリ味に仕上げた。
一品料理のパスタ類にPizza(ピッツァ)を追加。
冷凍生地だが、なかなか優れもの。
トッピングはオリジナルのトマトソースにチョリソ、チーズ、アンチョビなど、手元にある食材を好みで乗っける。
あと一品は、生フェットチーニ(平細パスタ)。
タリアテーリやリンギーネより細めの麺。
タリアテーリやリンギーネより細めの麺。
これも、冷凍だが、しこしこ、もちもち、なかなかいける。
どんな具でもOKだが、ミートソースをお勧め。
どんな具でもOKだが、ミートソースをお勧め。
2009年11月17日火曜日
スペイン旅行記9月11日(金)
今日は第一陣5人の出発日。ホテルから全員、バルセローナ空港へ。
ビーチからホテルを見上げたところ
5人を出発ゲートで見送り、居残組4名は、事前に予約してあったHertzレンタカーをピックアップに行く。ヨーロッパでは今でも、オートマチック車の普及率が10%強しかない。レンタカーでも、オートマ車は機種が限られる。スペインのHertzでは、メルセデス・ベンツのA180かMBW500シリーズのみである。4人と大きな荷物があるので、BMW500シリーズを予約していたが、それでも、全ての荷物がトランクには入りきらず、後席の2名の間にスーツケースを1個置かざるを得なかった。いわゆる、ステーション・ワゴンやワンボックスはスペインでは一般的でない。室内に荷物が見えると盗難を誘発するからだ。
バルセローナの空港はバルセローナの南西にある。バルセローナを通り抜け、一路北東方向、フランス国境に近いPlaya de Aro(プラジャ・デ・アロ)という保養地へ向かう。約、120Km。フランスの地中海側、コート・ダ・ジュール(碧い海岸)とつながった、コスタ・ブラバ(カタラン語で碧い海岸)。要は碧い海岸が、国境をはさんで、フランス語とカタラン語に変わるだけだ。
プラジャ・デ・アロは、フランスのニースとよく似たところ。ホテル、別荘、レストラン、ショッピング・センター、etc。この街の北のはずれの高台にある、Silken Park Hotel San Jorge(シルケン・パーク・ホテル・サン・ジョルジュ)に4泊する。ここをベースに、ノンビリ、あちこち廻ろうという計画。
玄関から奥に行けば行くほど、低くなっている。
中庭に出るとその向うは崖。
崖の下に、プライベート・ビーチがある
多分100年以上
ビーチからホテルを見上げたところ
各部屋には広いベランダが
その間に、ホテル内を探検。バーで軽食を頼み、中庭のテーブルで海を見ながら昼食をすます。
ホテルでのんびりしてから、夕方、街中までブラブラ散歩。今日は祭日。メインストリートを歩行者天国にして、屋台が一杯。
ブラブラ散歩のあと、海岸沿いのレストランで夕食。
昼も軽くしたが、夕食も軽めに、一人一品を頼む。
それを4人で分ける。これが、もっとも合理的な食べ方。
これは、タイのグリル。日本のタイほど美味しくない。
イタリア料理だが、スペインでもよく食べられる。
ソースもアッサリでこれも、胃に良し。
パエーリャのお米の代わりに細く、短いパスタを使ったもの。魚のスープで煮てあり、これは、美味であった。
但し、赤みの、少し硬い牛肉。
スペインでは、これをBistec(ビステック)という。
Vina Alberdi(ビーニャ・アルベルディ)をみつけた。
Bar mioでBaron de Ona(バロン・デ・オーニャ)についで、2番目に良いワインだ。
スペインで飲むと安い。
Bar mioも安いが、それでも、この値段をみるとボッタクリのようだ。
早めにホテルに戻り、女房ども二人がバスルームにいる間に、男ども二人は、隣り合わせのテラスの仕切りをテーブル代わりに、波の音を聞きながら、酒盛りを、、、
2009年11月9日月曜日
新メニューのピンチョス
ピンチョスとはピンチョの複数で、標準スペイン語ではPinchos、本場であるバスク地方では、バスク語でPintxosと書く。本来、Pinchar(刺す)といういみの名詞で、串や爪楊枝に色々な食材をさしてお酒のあてとしてだされるものである。
Bar mioでも、開店後、早い時期から、Tapasの定番として、出すようになった。
これは、ハム3種のピンチョ。
スペインの生ハム、日本のロースハム、ドイツのアイスバイン
これからも、いろんなピンチョスを考案してゆきたい。
Bar mioでも、開店後、早い時期から、Tapasの定番として、出すようになった。
これは、ハム3種のピンチョ。
スペインの生ハム、日本のロースハム、ドイツのアイスバイン
スペインのアンダルシア地方のチョリッソ、日本の山形産、山形牛の入ったチョリソ、スペインのカタルーニャ産のもの、
ハムとチョリソのピンチョを1本ずつで1人前のピンチョスとして
定番メニューとしていた。
第一弾がこれ、海の幸のピンチョス。
タコ、イカ、ホタテ、エビを赤、黄、緑ピーマンとアスパラでアソート
モルシーリャのピンチョス。
米とブタの血の腸詰を輪切りにしてソテーしたもの
クコの実と松の実をトッピング
ホタテにズッキーニ、赤・黄ピーマン、ボケロン、干しタラ
スペイン産の干しダラが入りにくく高価のため、日本の干しダラを使用して、大失敗。
初めて、パンの変わりにジャガイモを使ってみた。
これも、不評に終わった。
これからも、いろんなピンチョスを考案してゆきたい。
手の込んだ、高級品はやりたくない。
シンプルで、ワインに会うものをいろいろやってゆきます。
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