2015年9月22日火曜日

昨日帰国しました

バルセローナから4時間、ヘルシンキから9時間、飛行機の狭い椅子に座り続け、ようやく関空へ到着。予約していた、MKシャトルで京都へ帰宅。いつもなら1時間半くらいなのに、昨日はシルバーウィークとやらで、3時間以上。お尻が痛くなってようやく帰宅しました。
いままで、旅先から日記代わりにこのブログにアップしてきましたが、これから、順次、写真も載せ、一部加筆訂正してゆきます。すでに読んでいただいた方も、時間を置いてもう一度目を通していただければ幸いです。ゆっくりやりますので、宜しく。

2015年9月21日月曜日

関空に着いた

税関申告書は申告の必要な人だけだったのに全員提出にルールが変わっていた。なんと言っても5年ぶり、いろいろ変わっても当たり前。
さすがに最後の9時間のフライトは厳しかった。早く着けとばかり飛行機の航路を見ていたら、関空にアプローチするのに徳島の上を通るのに気付いた。なんと家内の実家辺りを右に見て左旋回で関空へ。今はMKシャトルの中。眠たいので寝ます。お疲れ様でした!

2015年9月20日日曜日

ヘルシンキに着いた

朝が早く朝食を軽くしていたので空腹を感じたが、バルセロナからの便は国内線と同じ扱いで昼食がでない。希望すればサンドイッチが有料であるが、馬鹿らしくて注文しなかった。でも、6ユーロのワインは注文してしまった。自分でやっていることがバラバラだ。ヘルシンキでの出国手続きも終わり、余ったユーロの換金も済ませ、ラウンジに落ち着く。軽い食事と飲み物も自由。JALのグローバル会員を続けていて良かった。搭乗迄小一時間待ち。それからが長い。次のリポートは関空からかな?
ヘルシンキの空港内
おしゃれなバルに人が一杯

バルセロナ空港出発待ち

10時15分発ヘルシンキ行き
搭乗時間9時45分、そして現在8時30分、ラウンジで待機。バルセロナの空港も随分変わった。と言っても以前がどうだったか覚えているわけではない。ただ、広く、近代的で、デザインも洒落ている。ただ、個性がない。どこの空港にいるのか分からない。人は多い。これが失業率10%以上の国とは思えない。ここがバルセロナ、カタルーニャの首都だからだろうか。今月27日にカタルーニャ議会の総選挙が予定されている。現在第一党が過半数を占める公算が強い。その場合カタルーニャの独立に向かうのは必須。毎日、テレビで、カタルーニャの独立の是非が討論されている。確かにカタルーニャの豊かさでスペイン全体が持っているわけで、抜けられたら困るカタルーニャ以外と、他人のために切磋琢磨しているのが嫌になったカタルーニャ、どちらの気持ちも良く分かる。そもそも国とは何なんだ。ということを考えさせられる。今回イベリア半島を一周して、実感として分かるのは、確かに今日の居場所は今日と違う。ほんの数百kmの違いで、言葉 が違う。話し言葉だけでなく書き言葉迄違う。ラジオもテレビも独自の物を放送している。カタラン語とスペイン語(カスティーリャ語)の違いは自分にも分かる。でも、ガリシア語とポルトガル語は、自分には同じように聞こえる。何故、ポルトガルが独立国でガリシアがスペインの一地方なのか分からない。それぞれ歴史があり、そうなった経緯があるはず。なるようになって今がある。ではシリアはどうなのか。毎日シリアからの避難民のニュースが流れている。ドイツ、スペイン、ハンガリー、それぞれの対応、そして避難民の人たちの振舞い。いちいち考えさせられる。スペインは一万五千人の避難民を受け入れることになり第一グループが到着したというニュースが流れた。これからどのように受け入れて行くのだろう。日本なんか年間数十人しか受け入れしていない。受け入れられた人々の多くは、アメリカやカナダ、ヨーロッパへの再移住を希望していると聞いた。今後の日本、日本人はどのように行動すればいいのだろう。余分な時間があると、つい、考えてしまう。そろそろゲートへ向かおう。
さらば、スペイン。
搭乗予定の機材が20分送れで到着
搭乗は少々遅れそう
 

最終日

昨夜はホテルに入ってから何処にも行かず、部屋で、NHK Worldを観ながら持ち込んだ本を読みきった。11時頃、早々に寝た。結局、今朝は、目覚まし時間より早く目覚め、朝食開始時間を待つ。今回の旅で決めていたこと。
①以前にいったところには行かない 
②イベリア半島を一周する
③スペイン行きはこれを最後にする
①は、サンティアゴ・デ・コンポステーラに立ち寄ったことと、今日バルセロナ市内に入ってしまったことを除くとほぼ達成。
②は達成。走行距離4,172.7km
③は、これからのことだが、時間と金に余裕が出た時は、まだ行ったことのない国に、パックツアーで行こう。
総括して思うこと。
①体力の衰えを思い知らされた
②食欲はあれど食べられる量が限られた
まあ、無理のきかない年相応になったのだ。分かってはいたが、認めたくなかったことを認めざるを得なくなったということだ。

最後にまたチョンボ

最後のホテルにチェックイン、周りは何もない。荷物の整理をし、明日の出発の準備をする。ポケットの中身も全部出して、ん?この鍵は?そう、今朝チェックアウトしたホテルの鍵だ。近代的なホテルの電子式キーなら、問題はないが、昔ながらの鍵である。お詫びのメモを書いて、郵送をレセプションで頼んできた。
今日、バルセロナで、警官に誘導されたまたま入った駐車場から出てきた時のことた。建物に555と数字が書いてある。何故かこの数字が気になって周りをみると、なんとそこは、かつてスペイン松下の本社が入っていた建物だ。赴任当時、工場建設するために、準備事務所をおいていた建物だ。なんという巡り合わせだ、スペイン勤務の最初の半年を過ごした場所だ。ここから歩いてコルテイングレス迄買い物に行き、帰り道どこかで軽く昼食を採ろうと、食べるところを物色しながら、結局、駐車場まで戻ってしまった。今、食べないと、タイミングを逃す。ちょうど駐車場の向かいにバルがある。仕方ない、ここで何か食べて行こう。カウンターに座りタパスとオレンジジュースを頼んで、何気ななく外をみると、元スペイン松下のビル、現在はホテルのビルが見える。
うーん!?
40年前のシーンが脳裏に甦る。バルの内装や従業員は変わっているが、あの当時、毎日10時過ぎ、チームメンバーと休憩というか、軽い朝食というか、ようは、コーヒーと何か軽い物をつまんでいた、そのシーンだ。そう、まさに、ここは、あの当時毎日通っていたバルだ。
今回の旅の一つの方針。過去にいったところには行かない。この方針を、最後の買い物をすべくショッピングセンターに行く積もりが、行き着けなかったがために、方針をおかし、コルテイングレスへきた。そしてたまたまお祭りで混んでいて、たまたま入った駐車場が、、、、
いい、思い出をいただいた。

たまたまここのパーキングに車を停めた
でてくると窓の555番地
向かいを見ると元スペイン松下の本社ビルが

Ensalada rusa ロシア風サラダ
これもあのころよく食べたものだ

Ensalada de mariscos 海鮮サラダ

チキンのソテー
どれもボリュームタップリで半分しか食べれなかった