2007年6月6日水曜日

関空に到着

11時間、往きより1時間短いといえどやはり長い。特にエコノミー席では。
昨夜の”るーぼあ館”でフレンチの調理をやっているという女性に会った。短大を出てから調理学校に通い、それからパリに修行?に来ているとのこと。今、勉めているレストランを辞めると通知しているのに、中々辞めさせてくれないと、ぼやいていた。優秀な証拠だ。仕事を終えて日本語でほっと一息という店だ。なんと初代のママの開店から、26年になるそうだ。12時過ぎて”安っさん”が現れた。初めて会ったはのは、安っさんが”たから”に勉めておられた時だと思う。安っさんは料理の他に、包丁で細工される切り絵の名人で、帰国の際に立派な作品を選別に頂いた。自宅の玄関に大事に飾らせて頂いている。マスターもママもお元気で「店はずっと続ける」とおっしゃっている。パリに、安心して、またこれる店があるのが嬉しい。さて、最後のハップニングだが、最近は機内に液体を一定量以上持ち込めなくなっている。もちろんテロ対策だ。バリ行きの便で、歯磨きを捨てる苦い経験から、帰りの便では一切手荷物には入れなかった。水のペットボトルもセキュリティコントルールの前に飲みほし、出国手続きを済ませ、セキュリティコントロールへ。手荷物を検査機に通す。ここでストップ。゛その袋はなんだ゛との問に、どうどうと「ワインとコニャックだ」と答える。「液体は機内に持ち込めないのを知らないのか?」、当然知っている。が、手にはワインとコニャックの袋が!ワインは、今回ブログで大変お世話になった松本さんへの土産。プロバンスのBandolから大事に運んで来たもの。コニャックはMartelで限定モデルにBar mioの名前を入れてもらった特別なもの。割れ物をチェックインせずに手荷物で機内持ち込みするのがかつての常識だった。液体を持ち込んではいけないという知識と、割れ物は手荷物でという常識とが行動に異常をおこさせている。結構、またチェックインカウンターに戻り、荷造りしなおしてチェックイン。JALのグローバル会員でなければ、ディスカウント・エコノミー・チケットの旅行者には、荷造りサービスなど受けれなかったろう。簡易な荷造りだったが無事割れず到着。やれやれだ。ここまで、ブログにお付きあい頂いた方に感謝、感謝です。

2007年6月5日火曜日

旅の最後はやはりハップニングで

昨夜はルーブル美術館を歩き疲れて、一度ホテルに戻る。買い物を荷造りし帰国の準備はOK。最後にガソリンを満タンにするため再度車で出かける。ここで、ハップニング。日本のクレジットカードが使えない。最後の夕食と馴染みのバーサロン用に残していたユーロの現金を使いはたした。さてどうするか。ホテルへ戻って換金するか。結構、昨夜行った゜たから゛に再度行き、カードで支払いするさい金額を上乗せしキャッシングしてもらった。もちろんお店の特別配慮だ。゛たから゛は本来月曜は休み。でも、昨夜シェフが言ってた゛明日は休みなのだが間違って予約をとってしまったので開けざるを得なくなってしまった゛というのを思い出したのだ。現金を確保出来たので、食後゛るーぼあ館゛へ出かける。パリ在住の日本人が集まるバーサロンだ。パリ勤務時はずいぶんおせわになった。実は今回、到着時、訪ねたのだが、建物のフロアーが改装され、随分雰囲気が違っており、ここも閉まってしまったと思っていた。昨夜゛たから゛で今もやっていると聞き、昨夜訪ねたが休み
だった。最後の夜に、何年振りかの訪問となった。建物のフロアーは随分変わっているが、一歩中に入るとタイムスリップした感じ。何も変わってない。ボーディングの時間だ。続きは関空で

蕎麦粉のクレープ

どこかで食べようと思っていた蕎麦粉で作ったクレープ、正しくはGaletteガレットと言う。ハムとチーズのガレットを注文したので、結構ヘビーな昼食になってしまった。

フォーションで、日本ではまだ売ってないというグリーンアップルティーを買い、ヘンケルの専門店でナイフと新モデルのナイフ立を買ったら、後はルーブル美術館へ。ルーブルにはなん十回と来ているが、パリへの訪問者を案内するためで、いつも一時間位で決まったらコースを歩いていた。今回は時間のある限り、今まで見た事のないところを歩こう。

2007年6月4日月曜日

ギャレリー・ラファイェット

明日は空港へ行くだけ、よって今日が実質最終日。でも朝から小雨が降っている。プランタン百貨店には到着の翌日に行ったので、今日はGalerie Lafayette へ出かける。かの建物は贅沢にも真ん中に大きなドームがある。即ち百貨店の売り場のど真ん中に空間がある。多分これは昔の石造りの建物の技術的限界から来るものと思うが今となっては、ずいぶん贅沢な造りだ。ここで、妻と娘、息子の嫁にLaliqueのガラスのハートのペンダントを土産に買う。色違いで買ったので、三人でぶんどり合戦をしてもらおう。

贅沢な空間

                   

今日の昼食

今日はパリに戻るだけ。なんとなく憂鬱。パリに戻ると日本へ帰らなければならない。でも胃腸は日本を恋しがっているようだ。今日の昼食もパニーニのチーズサンドのみ。

パリに着いてしまった。ホテルは予約してあったエッフェルタワー近くのメルキュールホテル。今日は日曜で主なお店はしまっている。オペラ座界隈をぶらぶらする。日本料理がずいぶん変わっているようだ。写真はパレ・ロワイヤル、王宮の一画。以前に住んでいたころ、あまり歩いたことのない一画だ。

夜の10時近く、ようやく暗くなりエッフェルタワーに明かりがともる。夕食は26日ぶりに日本食。日本食店がずいぶん変わっているなか、パリで最古の本格日本料理店の゛たから゛が頑張っている。胃腸の弱っている者にはありがたい。刺身、てっか巻、小鉢のワカメうどん。最後に日本茶でほっとした。パリの夜はこれから始まる。普通ならムーラン・ルージュかリドあたりに出かけるのだが、なぜかその気分にならず、ホテルの部屋から、エッフェルタワーを眺めながら物思いにふける。

2007年6月3日日曜日

最もシンプルな昼食と豪華な夕食

コニャックを出発したのが14時。朝食をしっかり食べたからお腹が空かない。でも何か食べなければと休憩を兼ねて。



シャトーホテルの庭

A10に戻って更に北上。パリまで300Km程になりTours近くになるとロアール川沿いの城の案内が見られる。Chinon城の案内を見た時、高速を降りる決心をした。このままパリまで走るのも芸がない。シノン城には以前行った事がある。近くにたくさんホテルがあった。高速を降りてシノンに向かう。1分後、Hotel en chateauの看板が見えた。これからChinonまで小一時間走ってホテルを探すより楽だ。Uターンして看板をたどる。本物のお城だ。Chateau de Brou。15世紀のお城だ。自然の森の中にあるので虫が多いのだけが玉に傷。それともうひとつ、これはメリットかデメリットか人によるが、携帯がつながらない。



15世紀に建てられるたChateau de Brou、ブロゥ城の、フランス王家の紋章が入った暖炉とシャンデリアのあるレストランでロブスターのサラダ。これしか軽いメニューがなかったのだ。

Martellの歴史館?を見学

前方にCognacの標示が見え始めた。ブランデーのあのコニャックだ。これは寄り道しなければ!高速を降りて一車線の地道を小一時間、コニャッケの街だ。インフォーメーションで一番早く見学できるディスティラーを紹介してもらった。それがマーテルだ。12時に門が開き英語のツアーが1時から。それを予約し、少しの間町中を歩く。落ち着いたいい感じの街だ。戻って来ると、なんと見学は一人だけ。一対一かと思うとベテラン女性に二日前に入ったという超新米のお嬢さんと二対一で、ジックリ二時間VIP待遇で見学させてもらった。マーテルは今まであまり好きでなかったが大のファンになってしまった。マーテルがコニャッケブランデーで最も古いこと。創業者が皮肉にもフランス人でなく、Jergey出身のイギリス人であること。いまはフランスの会社ではなくカナダのシーグラムが保有していること、等色々教わった。

コニャックブランデーはコニャッケ地方の限られた地域で生産されたワインから造られるが、この限られた地域が更に土壌の違いによって四地区に分けられる。








四つの土壌分るかな?

                          





千種ものブレンディッドフレバー









七人でこれらの味を管理










40年以上の原酒はガラスの容器で










昔の蒸留システム

ボルドーを出るとブドウ畑が出現

ボルドーの街は、市内にいると気が付かないが、大きな港街だ。海から少し内陸に入っているが、大きな川に面した港である。重いワインの樽を運ぶには、昔は水運しかなかったのだ。ボルドーを出て高速A10で北へ向かう。二泊するつもりだったが、町中にいてもあもしろくない。


ほんの少し走るとブドウ畑が拡がっている。とにかくバリへ向かう。一気に走っても570Km。気に入ったところで一泊すればいい。パリまで戻ってもい。