2015年12月29日火曜日

年末年始のご挨拶

本年も終わりに近づいてまいりました。
年末のお掃除など、お忙しくお過ごしと存じます。
 
我が家では、川崎に住んでいる娘一家4名が27日より来ており、家の掃除どころでなく、喧騒に満ちた年末となっています。
Bar mioは早々と26()に仕事納めをし、一年分の大掃除をする予定だったのですが、年初に痛めた左肩が治らず、大掃除は、ギブアップすることにしました。
腕のいい鍼灸師にこの2ヶ月ほど通って、年内に完治を目標にしたのですが、だめでした。
鍼灸師から、「普通の定年退職者で、ブラブラ散歩をして過ごしておれば、自然に治るのですが、、、」と言われ、今までのようにBar mioを継続するのはやはり無理なのかなと感じているところです。
幸いに、一人、後継者候補が現れ、来年はチョット違った運用ができればいいなと考えているところです。
詳細が分かれば、また、ご報告させていただきます。
とにかく、この冬中に左肩を治し、来春、数年ぶりにゴルフ復帰を目標にしたいと思っております。
 
暖冬とはいえ、これから寒さが厳しくなってくると思われます。
ご家族ともどもご健勝にて、良き新年をお迎え下さいませ。

2015年12月22日火曜日

年末年始の営業

年も最後の営業週に入りました。
年内は26日(土)まで、
年始は5(火)から営業します。
26日は在庫処分特別価格で営業します。

2015年12月2日水曜日

12月に入りました

ほんとに早いですね。この間、スペイン旅行から帰ったところなのに、、、、
今週から冬の定番、Sopa de cebolla(ソパ・デ・セボーリャ、オニオン・スープ)を提供しています。
寒い夜のお勧め、ホットワインも出始めています。
今年は26日(土)までの営業を考えています。また、確定したらご案内させて頂きます。
皆さん、風邪など引かないように、暖かくお過ごしください。

2015年10月17日土曜日

スペイン旅行日記、編集完了

9月21日帰国後、はや数週間。少しずつ、写真を追加して文章も加筆訂正しました。
本日ようやく完成。一部の記事は順序が入れ替わってしまっていますが、後で順序の入れ替えはできなかったので、早い順にNo.を打ちました。
お時間のある方は、古いものから順に見て頂ければ幸いです。

2015年9月22日火曜日

昨日帰国しました

バルセローナから4時間、ヘルシンキから9時間、飛行機の狭い椅子に座り続け、ようやく関空へ到着。予約していた、MKシャトルで京都へ帰宅。いつもなら1時間半くらいなのに、昨日はシルバーウィークとやらで、3時間以上。お尻が痛くなってようやく帰宅しました。
いままで、旅先から日記代わりにこのブログにアップしてきましたが、これから、順次、写真も載せ、一部加筆訂正してゆきます。すでに読んでいただいた方も、時間を置いてもう一度目を通していただければ幸いです。ゆっくりやりますので、宜しく。

2015年9月21日月曜日

関空に着いた

税関申告書は申告の必要な人だけだったのに全員提出にルールが変わっていた。なんと言っても5年ぶり、いろいろ変わっても当たり前。
さすがに最後の9時間のフライトは厳しかった。早く着けとばかり飛行機の航路を見ていたら、関空にアプローチするのに徳島の上を通るのに気付いた。なんと家内の実家辺りを右に見て左旋回で関空へ。今はMKシャトルの中。眠たいので寝ます。お疲れ様でした!

2015年9月20日日曜日

ヘルシンキに着いた

朝が早く朝食を軽くしていたので空腹を感じたが、バルセロナからの便は国内線と同じ扱いで昼食がでない。希望すればサンドイッチが有料であるが、馬鹿らしくて注文しなかった。でも、6ユーロのワインは注文してしまった。自分でやっていることがバラバラだ。ヘルシンキでの出国手続きも終わり、余ったユーロの換金も済ませ、ラウンジに落ち着く。軽い食事と飲み物も自由。JALのグローバル会員を続けていて良かった。搭乗迄小一時間待ち。それからが長い。次のリポートは関空からかな?
ヘルシンキの空港内
おしゃれなバルに人が一杯

バルセロナ空港出発待ち

10時15分発ヘルシンキ行き
搭乗時間9時45分、そして現在8時30分、ラウンジで待機。バルセロナの空港も随分変わった。と言っても以前がどうだったか覚えているわけではない。ただ、広く、近代的で、デザインも洒落ている。ただ、個性がない。どこの空港にいるのか分からない。人は多い。これが失業率10%以上の国とは思えない。ここがバルセロナ、カタルーニャの首都だからだろうか。今月27日にカタルーニャ議会の総選挙が予定されている。現在第一党が過半数を占める公算が強い。その場合カタルーニャの独立に向かうのは必須。毎日、テレビで、カタルーニャの独立の是非が討論されている。確かにカタルーニャの豊かさでスペイン全体が持っているわけで、抜けられたら困るカタルーニャ以外と、他人のために切磋琢磨しているのが嫌になったカタルーニャ、どちらの気持ちも良く分かる。そもそも国とは何なんだ。ということを考えさせられる。今回イベリア半島を一周して、実感として分かるのは、確かに今日の居場所は今日と違う。ほんの数百kmの違いで、言葉 が違う。話し言葉だけでなく書き言葉迄違う。ラジオもテレビも独自の物を放送している。カタラン語とスペイン語(カスティーリャ語)の違いは自分にも分かる。でも、ガリシア語とポルトガル語は、自分には同じように聞こえる。何故、ポルトガルが独立国でガリシアがスペインの一地方なのか分からない。それぞれ歴史があり、そうなった経緯があるはず。なるようになって今がある。ではシリアはどうなのか。毎日シリアからの避難民のニュースが流れている。ドイツ、スペイン、ハンガリー、それぞれの対応、そして避難民の人たちの振舞い。いちいち考えさせられる。スペインは一万五千人の避難民を受け入れることになり第一グループが到着したというニュースが流れた。これからどのように受け入れて行くのだろう。日本なんか年間数十人しか受け入れしていない。受け入れられた人々の多くは、アメリカやカナダ、ヨーロッパへの再移住を希望していると聞いた。今後の日本、日本人はどのように行動すればいいのだろう。余分な時間があると、つい、考えてしまう。そろそろゲートへ向かおう。
さらば、スペイン。
搭乗予定の機材が20分送れで到着
搭乗は少々遅れそう
 

最終日

昨夜はホテルに入ってから何処にも行かず、部屋で、NHK Worldを観ながら持ち込んだ本を読みきった。11時頃、早々に寝た。結局、今朝は、目覚まし時間より早く目覚め、朝食開始時間を待つ。今回の旅で決めていたこと。
①以前にいったところには行かない 
②イベリア半島を一周する
③スペイン行きはこれを最後にする
①は、サンティアゴ・デ・コンポステーラに立ち寄ったことと、今日バルセロナ市内に入ってしまったことを除くとほぼ達成。
②は達成。走行距離4,172.7km
③は、これからのことだが、時間と金に余裕が出た時は、まだ行ったことのない国に、パックツアーで行こう。
総括して思うこと。
①体力の衰えを思い知らされた
②食欲はあれど食べられる量が限られた
まあ、無理のきかない年相応になったのだ。分かってはいたが、認めたくなかったことを認めざるを得なくなったということだ。

最後にまたチョンボ

最後のホテルにチェックイン、周りは何もない。荷物の整理をし、明日の出発の準備をする。ポケットの中身も全部出して、ん?この鍵は?そう、今朝チェックアウトしたホテルの鍵だ。近代的なホテルの電子式キーなら、問題はないが、昔ながらの鍵である。お詫びのメモを書いて、郵送をレセプションで頼んできた。
今日、バルセロナで、警官に誘導されたまたま入った駐車場から出てきた時のことた。建物に555と数字が書いてある。何故かこの数字が気になって周りをみると、なんとそこは、かつてスペイン松下の本社が入っていた建物だ。赴任当時、工場建設するために、準備事務所をおいていた建物だ。なんという巡り合わせだ、スペイン勤務の最初の半年を過ごした場所だ。ここから歩いてコルテイングレス迄買い物に行き、帰り道どこかで軽く昼食を採ろうと、食べるところを物色しながら、結局、駐車場まで戻ってしまった。今、食べないと、タイミングを逃す。ちょうど駐車場の向かいにバルがある。仕方ない、ここで何か食べて行こう。カウンターに座りタパスとオレンジジュースを頼んで、何気ななく外をみると、元スペイン松下のビル、現在はホテルのビルが見える。
うーん!?
40年前のシーンが脳裏に甦る。バルの内装や従業員は変わっているが、あの当時、毎日10時過ぎ、チームメンバーと休憩というか、軽い朝食というか、ようは、コーヒーと何か軽い物をつまんでいた、そのシーンだ。そう、まさに、ここは、あの当時毎日通っていたバルだ。
今回の旅の一つの方針。過去にいったところには行かない。この方針を、最後の買い物をすべくショッピングセンターに行く積もりが、行き着けなかったがために、方針をおかし、コルテイングレスへきた。そしてたまたまお祭りで混んでいて、たまたま入った駐車場が、、、、
いい、思い出をいただいた。

たまたまここのパーキングに車を停めた
でてくると窓の555番地
向かいを見ると元スペイン松下の本社ビルが

Ensalada rusa ロシア風サラダ
これもあのころよく食べたものだ

Ensalada de mariscos 海鮮サラダ

チキンのソテー
どれもボリュームタップリで半分しか食べれなかった

2015年9月19日土曜日

無事レンタカーを返却

喧騒のバルセロナを早々に脱出。空港へ向かう。空港行きは順調。ダイレクにレンタカー返却スペースで返却手続き終了。ホテルのシャトルバスに落ち着いた。
カタルーニャ広場、右奥が百貨店El Corte Ingles
ここでもテントが一杯出ていて、いろんなイベントが
写真では喧騒が伝わらないが、すごい人と騒音


レンタカーを返却したときの
トリップメーター
4,172.7km

実質最終日

今夜は初日に泊まったバルセロナの空港近くのホテルに泊まり、明日朝一番で空港へ向かう。よって今日が実質最終日。シッチェスの朝、海岸を散歩。日向ぼっこしながら日本より持ってきた本を読む。時間潰しの柔らかい本だ。11時前にチェックアウトして教えてもらったショッピングセンターに向かう。見つからない。まあいや、バルセロナのコルテイングレス迄行くことにした。走り慣れた筈の道なれど、あちこち遠回りしてやっと着いたら、今日はバルセロナでお祭りみたい。凄い観光客と多くの地元の人で車を駐車できない。警官の誘導で、ずいぶん遠いパーキングに停めることになった。
シッチェスのホテル最後の朝食

表の道に面した窓
これが私の部屋

Bodega(酒蔵)見学

見学はカバの酒蔵ではなかったが、個人でこだわりを持ってワインづくりをやっている酒蔵を見学できた。今まで訪問した酒蔵と異なり最も小規模で自分の気にいったワインづくりに徹している。勿論バイオ。自然を大事に次世代に残せるワインづくりを目指している。
まわりの山は人間の手を入れることが禁じられている

完全無農薬

農場兼酒蔵

酒蔵の中には古い樽が

酵母を使わず、ブドウのみ
毎日手で撹拌して発酵をを助ける

農場からの景色

農場への出入り口の扉に1776の印
農場ができた年


ぶどう棚の下で試飲

農場の出入り口
入ったところにブドウ棚が
短パンの人が案内してくれた
お父さんと二人でこのボデガを運営
普段は別のワイナリーで仕事しており
自由な時間だけ自分のボデガで趣味のようにわいん造り

2015年9月18日金曜日

シッチェスの美術館巡り

10時開館の博物館2ヵ所、ゆっくり見てまわって45分。時間が余ってしまった。予定外で、もう一つの博物館に向かう。探し探し、ようやく見つけたら、臨時休館。仕方ないので12時の予定より少し早いが、バカルディの家に向かう。12時のツアーに申し込みするも、もっと後のツアーにしろと、なかなか受けてくれない。後の時間は別の予定があるからと、押しきったらなんと自分1人だけのプライベートツアーになってしまった。担当のお姉さん、ゴメンなさいね。
海に面した建物が博物館

美術愛好家のコレクション

鉄の装飾具が特徴

いろんな鍵のコレクション

鉄のノブ類、他

二つの博物館が中でつながっている

広い空間
すべて木造

建物の中にチャペルも

扉にも鉄の装飾具が

立体的な鉄の装飾具一杯の扉
バカルディの家r
単式蒸留釜
プライベートツアーとなってしまったので英語で案内してくれた

バカルディを使ったカクテルのオリジナルの造り方をデモしてくれる

モヒート

ダイキリ

クーバ・リブレ

ピーニャ・コラーダ

このカウンターでデモのあと、
自分でカクテルを作らせてくれる
もちろん飲ませてくれる

シッチェスの朝

半袖だと寒い、長袖を羽織って散歩に出る。セーターを着た人からノースリーブの人迄いろいろ。今日は金曜日なので観光客と仕事の人と混じりあっている。美術館は10時から。後少し散歩を続けよう。

明日、する事が一つ決まった

カタルーニャの代表的ワインの一つが、カバだが、今までその酒蔵を見学したことがなかった。ホテルのコンセルジュのお蔭もあり、明日の午後プライベートツアーができるようになった。午前中は、二軒の美術館とバカルディの家を見学することにする。シッチェスの海岸を散歩したが、海岸は3キロ程度ではないことを感じた。多分見える限りの海岸で4〜5kmはあるのではないか。夜の遊歩道を歩いていて気が付いたが、バルセロナ空港へ着陸する飛行機がちょうどシッチェスの上を迂回して行く。二週間程前に、ここを通ってバルセロナに着いたのだ。そして明後日には、バルセロナを出発するのた。
ホテルの本館とプール

ホテルの裏庭

ホテルの庭には立派な銅像が

シッチェスはバルセローナの保養地として大きな豪邸がいくつも作られ、
このホテルもそうした豪邸のあとをホテルにしたもの

朝食も立派
いろんなパンが並んでいる

クーリングタワーには
ハム、ソーセージ、チーズ、ガスパチョ、ヨーグルト、等々

ここにも違ったパン類が

2015年9月17日木曜日

シッチェスを半分回ってきた。

キューバのラム酒で有名なバカルディが、シッチェス出身だとのことで、バカルディの家がある。早速行って来たが、休館時間だったので、明日、出直しする。昨日のバレンシアは、日陰でも蒸し暑かったが、今日は日陰だと涼しい感じ。とりあえずホテルのプールサイドの日陰のビーチチェアーで休憩。今回持って来たが、一度も開いてなかった日本語の本をともにビールを一杯。
バカルディの家
 
ホテルの中庭に小さなプールが
その周りに多くのサンデッキがある

ホテルのロビーに大型のTVが
 

なんとパナソニック
今回の旅で初めてみるパナソニックのテレビ



Sitgesの安いホテルに入った

シッチェスは思っていたより大きな保養地だ。砂浜は多分3キロ以上続いている。何故シッチェスを選んだか?40年も前にスペインに住んでいた頃、何かの機会にシッチェスの教会の額をいただいた。何枚かのタイルを組み合わせ物だ。いただいたのは、スペインで一番お世話になったLazaroさんだ。バルセロナ在住のかたで、我々がCelraに工場進出した時のスペイン人の責任者だ。スペイン人としては、珍しく、仕事を優先されウィークデイはセルラに単身赴任されていた方だ。シッチェスに良く来られていて、一度一緒に行こうとお誘いを受けていた。結局4年間スペインに住んでおりながら訪れることのなかった場所だ。そのラサロさんももうこの世にいない。
 
海岸から少し内陸に入っているので料金は安い
でも、ガレージ、プール付き
 
ホテルの裏にはに駐車
 
これがシッチェスの教会
 
海岸の遊歩道

一番奥に教会が見える
教会からこちらに海岸と遊歩道が続く

教会の反対側
この奥に港がある